はぐれる倫理

二週間に一回くらい書きたい。

鏡に映ったもの - 無気力から高慢へ


 洗面鏡を見る。真顔の人が映る。前髪は目元まで伸びて、肌が荒れている。これが自分なんだと思う。それがうまく飲み込めない。

 思考したり感情を受け止めている"これ"と、この人は同一である。うーん、ピンとこない。

 

 自分はいつもボーッとしている。時間も場所も問わない。この場にいる自分から思考が離れて、ぜんぜん関係ない妄想をしている。

 気分のいい環境を夢想するときもある。陰鬱な情景を捏ねくり回すときもある。自分もそれに引きつられて、ウキウキしたり塞ぎ込んだりする。
 最初の乖離は、この集中力の無さが引き起こしているのでは?

 


 なんとなく、他者と接していないのも原因じゃないかと思う。ひとのあいだと書いて人間と読むように、「自分」というのは誰かとの交流によって形を持つ。今の自分は霧みたいになっているのかも。

 家族以外と最後に喋ったのはいつだろうか。たぶん数年前に友達と会った時か。その日は普通に遊んで、そこからバッタリと会わなくなった。原因は今でも覚えている。散髪に失敗したからだ。

 なにかの比喩ではない。本当に、散髪に失敗しただけで会わなくなった。少しの気恥ずかしさでこうなるんだから分からないものだね。

 現実はおろか、ネット上でも他者とうまく話せない。SNSは数年ほど書き込みをしてなくて、5ちゃんねるでも基本的にROM専だ。今みたいにアップロードをするのは本当に久しぶり。

 


 他者とまた喋るにはどうすればいいのか。数年の間に、自分の口は施錠された。内向性が強まり、他者のことが具体的に想像できなくなった。口は物理的にも塞がれている。まだマスクを外せないのだ。

 とにかく会話してみるしかないのは分かるが、怖い。正直に言うと億劫でもある。今の形のまま室内に張り付いて、そのままでいたい自分もいる。

 

 交遊に限らず、自分は気力がうすい。たしか二~三年前か、無気力になった日が明確にあった。数日ほどやる気が起きず、地続きに今日になる。
 防衛機制が働いたのか、高慢になった気がする。他人を審査眼で見ているというか。なにか手ごろな高尚を纏いたいと思ってしまう。

 

 

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 以上、思考を外に刺したくて書いた。
 願わくばなにか糸口になるように。